改訂版Skyblue 第一章 どこでもお勉強

太陽と月の永遠回帰の神話
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 次の日、千秋は寝ぼけ眼で瞼を開けて見慣れない天井にはっと我に返った。
自室ではない。カルマに案内された客間の一室だった。天井の幾何学模様が美しい。
「お寺みたい・・・」
ぼそっとつぶやくと自然に昨日来ていた制服を探す。
「ない・・!! 私の制服はどこ?!」
「おや?お目覚めですか?」
扉の隙間からカルマが顔を出した。
「私の制服はどこ?!」
かみつかんばかりに千秋が言う。
「そう心配せずともこちらで預かっていますよ。こちらでは用意した服を着ていただきますね」
穏やかな声で言うも嫌と言わせぬ気配がただよっていた。
もう。嫌な奴。
「かわいいお嬢様だ。頬がふくらんでいますよ。女官が服を持ってきますのでそれにお着替えください。お食事はヤナギ様と一緒になさいますか?」
「どっちでもいいわよ。服はどこ?」
「女官が持ってきますよ。では後ほど」
言うだけ言ってカルマは去って行った。こんな奴、学校の先生でいたっけ。そうだ。子松だ。
あの柳の弟が入ってる文芸部の・・・。だから余計に憎たらしいんだわ。
勝手に理由づけしていると女官が服を持ってきた。さわり心地がいい。
「さぁ。お召し変えなさいませ」
と言って女官がずっとそこにいる。人前で裸になれと?
千秋は通じるのか通じないのかわからないが話すことにした。一人で着替えたいと。着方さえわかったら大丈夫よ。こんな簡単なつくりの服だもの。
言い張ってるとあきらめたのかやがて女官は出て行った。扉の前で待っていると言って。
だが、異国というのは不便なものである。理論は聞いても実際にするとなれば難しい。
千秋はしかたなくドアをノックして女官を呼び戻すことになったのだった。
「さて。チアキ様とヤナギ様には昨夜言ったとおり天地をひっくり返していただかないと帰れません。というのも我らが帰依する月の女神の世が来るまで帰れないということです。今は太陽の世です。交互にこの世界では月の女神ルーと太陽神ラーが世を治めてきました。
今度は月の世の番なのです。ですが太陽の一族は世を譲りません。約束を違えている太陽の一族にはルーの世と知らしめて神話を塗り替えなければなりません。それをチアキ様とヤナギ様に手伝っていただかないといけないのです。異人(まれびと)、神話紡ぐ者なり。異人を神話へ導け・・・。これが太古より言い伝えられている言葉です。異人は間違いなくあなた方です」
そこへ千秋が突っ込む。
「どうして言い切れるのよ」
「我々は最初、ミヤコを召喚しようとしました。ですがあなた方が来た。月の女神はミヤコでなくあなた方を選んでよんだのです。術を超えて」
「でどうしたら太陽の一族は譲るの?」
「さぁ」
「さぁって無責任な・・・。責任持ちなさないよ」
すみませんと、カルマが苦笑いする。
「今・・・。徐々に月の世になりつつあります。ですが太陽の世がまだまだ残っています。太陽の神殿で太陽神に会って説得でもしていただければ・・・」
「説得って・・・。あなたたちの仕事じゃない」
「そうですが異人は神の上の神の使者です。なんとかなるかと。異人は我々の範囲外なのです。本来は」
はぁーと千秋は盛大なため息をついてブドウのような果物を一粒口に放り投げた。
「とにかく説得するわよ。でも嫌だって言われたら知らないわ」
カルマがほっとした表情をする。
「とりあえず行っていただければいいので。それではさっそく準備を始めしょう」
「準備?」
ただひたすら食べていた柳がやっと話に興味を持つ。
「柳。まだ食べていたの? 毒でも盛られたらどうする気?」
頭の痛い同級生にため息をつく。
「腹が減っては戦ができないってね。それにいいんちょーも食べてたじゃん」
「だからいいんちょーはやめてちょうだいって言ってるでしょ」
「長年の習慣は抜けないよ~」
「って、まだ一学期しかたってないわよ」
「そうか・・・」
へたれ柳に期待した私がばかだったわとひとりごちる。
「でまずは何をしたらいいの?」
話の切り口を言わないといけないのは千秋らしい。
「まずはお食事を終わられてから案内させていただきます」
意味深な発言をしてにこにこしているカルマである。
「あなたたちは食べないの?」
「我々は取り決められた食事をすでに済ませてあります。切り詰めているもので」
メジャーじゃない宗教団体は貧困なのだろうかと日本の宗教法人をついつい考える千秋だった。

数時間後千秋は頭をかき乱していた。
「なんなの。この文書の山は!」
「太陽神も月の女神も古代語ですのでまずはそのお勉強して神話を読んでいただき、しっかり頭の中にこの世界のことを入れてくださっての出立になります。それに衣装の準備があるので」
「まだ違う服を着るの?」
あきらめきった千秋が聴く。
「正式衣装でないと敬意を払えませんし太陽の一族に下に見られますので。服の寸法は来ていらした服にあわせてあります。それとも最初から採寸なさいますか?」
男だらけの神殿で女の子の採寸ほど恐ろしいものはない。いくら女官がいても。女官は数が少ないようだ。
いいや、と千秋は首を振る。カルマは謎めいた微笑みを浮かべただけだった。

まぁと納得して勉強を始めて数時間。千秋はきーっとヒステリーを爆発させていた。
「なんなのよ。この字。一から十まで聞かないとわからないじゃない!!」
「一応古代語で。聖刻文字と言います。ほかにA線文字とB線文字があります。少なくとも聖刻字を学んでいただかないと進みません」
「だったらもっと短い文章持ってきなさいよ! いきなり実践させられちゃわかるものもわからないわよ!!」
「そうでしたね。でもヤナギ様は楽しんでおられるようですが」
隣の万里は鼻歌を歌いながら聖刻文字を順調にまなんでいた。
「なんでへたれ柳にわかるわけ?」
ぽこんと頭を殴る。ほぼ八つ当たりである。
「いたいなー。いんちょうは。家にある文字に似てるからわかるだけだよ」
言われてそうだっと千秋は思い出す。万里の一族は千秋の通う高校を代々運営している。祖父の柳田久仁夫が校長を務めている。弟の丈は学年一番の頭脳を持ち怪しい子松の文芸部でシェークスピアを読んでいるらしい。へたれ柳も潜在能力があるのは考えられることだった。
ものの見事に現代日本からほど遠いところで秀才ぶりを発揮している万里だった。
「ヤナギ様はさすがですね。すらすら覚えて行かれる。チアキ様もコツさえつかんだら大丈夫ですよ。それに日はいくらでもありますから。太陽が隠れる気になるのはまだまだみたいですから」
たしかにと千秋は思う。あの砂漠の熱い太陽ったら憎らしいぐらいだった。どこが月の世が始まっているのだろうか・・・。
「チアキ様。手が止まってますよ」
容赦ないカルマの声がかかる。
うるさいわよ、と怒鳴りかけて声を落ち着かせる。怒鳴ってもしかたない。相手はあのカルマ。気に入らなければどうとでもできるのだ。再び空恐ろしいカルマの実力を思い出して、千秋は古代語のレッスンに戻った。
幾日も幾日も古代語のお勉強。受験勉強がかわいく見えてきた今日この頃の千秋である。
帰ったら模試でもなんでもうけてあげるわ。このやたら難しい文字の勉強が終われば・・・。
行っても勉強、戻っても勉強。さっさと大学に行ってモラトリアムを満喫するわよ。
勉強の鬼となった千秋は万里においつかんとして猛勉強を始めた。
「チアキ様もやる気を起こしていただけましたか。教える甲斐があります」
うるさい。青頭。すでにカルマのこともへたれ柳と同等の扱いである。本人にさすがに青頭とは言ってないが。言ったら殺されそうだ。
余念を払ってまた勉強に没頭するのであった。
そんな受験地獄まがいの中にも千秋にとって楽しみなこともあった。
最初は奇妙に見えていた神官たちや女官達の衣装も見慣れてしまえばこれが普通と思うようになった。そんななかで正装という衣装の採寸を手直しするのに腕を通すのが楽しみだった。千秋も女の子である。きれいな衣装を見て心躍らんことはなかった。寝室の天井同様、幾何学的な刺繍を施され、金糸や銀糸で彩られているのを見るのは心の安らぎだった。
へたれ柳がちゃくちゃくと実力を伸ばして千秋がきーっとヒステリーを起こしながら少しずつ古代語がわかるようになってきた。そうなればこちらのものである。興味はあとから あとから尽きない。カルマを質面攻めしてようやく神話に差し掛かったある日突然神殿が騒ぎしくなった。
「何事ですか?」
部屋の扉の前で問いただしているカルマを横目にしながら神話を読んでいると急にカルマに腕をつかまれた。
「太陽の一族の奇襲です。今から避難します。ついてきてください」
「ってまだ神話が・・・」
突然のことで危機感がない千秋がいうとぱしりとカルマが言った。
「そんなもの道々お教えしますよ。問答無用です。元の世界に戻りたければ従ってください」
強い口調で言われてやっと危機意識が湧き出る千秋と万里である。
「わかった。何も持たなくてもいいの?」
「食料だけもってきます。でもわずかしかないです。道々調達しましょう。行きますよ」
カルマの後をついて暗い道を走り抜ける。抜け道のようだ。いつまで走り続けるのかと思った時やっと外へ出た。月の神殿から火の手が上がっていた。死者も出ていそうな雰囲気に千秋は身震いした。平和な日本と違ってこの世界はまだまだ殺人や戦いがあるのだ。もっとも世界規模で考えればテロの続出する世界ではあったが。
死の連鎖が続いていく。
「大丈夫ですか?」
一度戻ってきたカルマがそこにいた。衣で頬をぬぐわれた。
千秋は泣いていた。恐怖よりも悲しみが先に立っていた。今までなかよくしてくれていた人の命が奪われた。もう会えない。そう思うだけで涙が零れ落ちていた。
「柳~」
背後にいた万里に振り返ると万里の胸に抱きついて嗚咽をこぼし始めた。
よしよしと万里が背中をたたく。万里が初めて役に立ったということも忘れて千秋は思いっきり泣いた。戻れなくてもいいからあの命を助けてと千秋は願った。しかしかなわぬ願いだった。
死者は生き返らない。それはどこの世界でも共通していた。カルマも慰めるように千秋の肩をとんとんとたたき続けていた。
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