最後の眠り姫(3)~(10)

最後の眠り姫
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3話
「ああ。もう可愛いっ。エミーリエって名前から素敵だわっ。カロリーネお姉様と言って見て」
「か・・・カロリーネお姉様・・・」
「きゃー。可愛いっ。一生、私のものよ!」
 すごい愛情を持っているのはわかるけれど、この状態はいささか危ないように感じる。私はこのお姉様と言う方と結婚するんじゃないかと思うほど、クルトが霞んでみえる。
「姉上! いつまでも人形ごっこを止めて、返してください。エミーリアは俺の奥さんです!」
「こっちは永遠の姉妹よ」
「シスコンは嫌われますよ」
「シスコン?」
 呟くようにオウム返しをすると、お姉様が両耳を塞ぐ。それを強引にクルトが奪って腕の中に確保する。
「異様に妹への愛を持つ姉上みたいな人の事だよ。さ、東屋でフルーツでも食べよう」
 そう言って手を引いてクルトは歩き出した。どこがどこだかわからない、大迷路のような宮殿だ。それをなんなく通って外へでる。暑い日なのにこの腕と足がにょっきり出ている服装だとそうも感じない。宮殿の外には霧水が吹いていた。不思議思って掌をむけると、霧水が手に乗って涼しい。
「ミストが不思議? こういう暑い日はこんな風に細かいミストを吹かせて温度を下げるんだよ」
「ミスト?」
 さっきからオウム返ししか出来ていない。少し、ムッ、とする。
「何も知らないで来たんだから、これから知っていけばいいよ」
 また先回りして答えられて、これもムッ、とする。
「姫のそういう所も好きだけど、機嫌直して。ほら、あそこだよ」
 豪華な八角屋根の下に何かがどーんとあった。
「この国で採れた果実のジュースや、アイスクリームがあるんだよ」
「アイスクリーム?」
「食べて見れば解るよ」
 そうして二人で座る。そこには周りにも誰もいなかった。給仕役も。
「今は、人件費がかかるからね。王族の私用な行動には人はいないんだよ。さぁ、これは解るだろう?」
「リンゴとブドウ?」
 真っ赤な果実と房になった青い実のなったものがクルトの手にあった。
「正解。君の時代のものもちゃんと引き継ぎられているんだよ。まったく知らない世界じゃないんだ。もっと、安心して。ここで涼んだら、あの手紙を見せてあげるよ」
 お母様が残した手紙。見たいような見たくないような。そこではっと思い出す。燻製音声がない!
 顔を真っ青にしているとクルトが手を広げた。
「お母様の声!」
 私はそれに飛びつく。コップがこぼれてジュースがはねた。水滴がクルトにかかる。
「あ。ごめんなさい」
「大丈夫。これ撥水加工してあるから」」
「?」
 またも聞いたことのない言葉に疑問符が飛び交う。
「大丈夫。疲れが取れたら、家庭教師をつけるから。勉強は嫌い?」
 クルトが目を見て話す。
「いいえ。好きな方だわ。この国の言葉をまず学ばないといけないようね」
「君は理解が早い。俺も姉も今は君の住んでいた時代の言葉を話している。言葉の勉強をして、そこから文化の理解に結びつけていけばいい。結構涼めた? 涼めたら、君の住む部屋に案内するよ。道順は簡単。俺の宮殿の隣だから」
「宮殿の隣? 建物の隣にあるの?」
「そう。君専用の宮殿があるんだよ。この日のために用意されてきた建物だよ」
 私だけの宮殿ですってー!!
 私はあまりの豪華さに目が飛び出るかと思った。
4話
「ここ?!」
 でーんとそびえている建物を見上げて私は言う。クルトは簡単に頷く。
 何か黒い板のようなものをクルトは玄関のある一部に触れさせると玄関が開いた。
「鍵なの? それが」
「ああ。あとで君にも渡すよ。持っているのは俺と君だけになるから」
「二人だけ? 何かあったらどうするの?」
「大丈夫。そういう防犯対策はしてるから。少し建物が古いのはあの手紙が見つかって解読した何代か前の王が建てたからなんだ。でも改修工事はしているから中は最新だよ」
 そう言ってすたすた歩いて行く。私は速歩で追いつくのが精一杯。
「ちょっと。待ってよっ」
「あ。ごめん。早すぎたね。あの奥の部屋が君の自室だよ。隣にお手洗いとお風呂がある。そしてその一番奥の扉を開けると俺の宮殿と回廊でつながっている。鍵はしてあるから、誰かが入ってくることはないよ。まぁ、結婚すれば、こっちが生活空間になるのかなぁ?」
 そんな夢想いらないわよっ。この宮殿で生活するほかに安全な生活はないかしら? 思いを巡らしてるとクルトが面白そうに見ている。
「逃亡を企てているね?」
 ぎくっ。つい、挙動不審になる。
「君は今、この世界ではあかちゃんと同じ。そう、簡単に逃げられないよ。俺の姫」
 ちゅーと言ってクルトは私の頬に唇を触れる。
「ちょっ・・・!」
「やり逃げー」
 ケラケラ笑ってクルトは奥のドアをあけて回廊に逃げる。
「ちょっと待ちなさい!」
 私も回廊にでる。ミストが心地いい。そこで一人の少年がいた。というか小さな男の子が。
「エレオノーラにそっくりだな」
 子供はぽつり、と言う。
「え?」
 クルトを追いかけるのをやめて子供を見る。
「その、まさか・・・。まさか・・・」
「聡明なところもそっくりだ。いかにも私が魔皇帝の生まれ変わりだ。一度、アメリアの子として生まれ変わったが、この時代にも生をうけたらしい。困った事があればこのじぃじに聞けばいい」
「ヴィルエヘルム! 迷い込んだのか? ここは兄とこの姫だけの空間だ。姫と会いたければ兄をとおしてからにしろ」
 おじい様となる魔皇帝の生まれかわりのヴィルエヘルムは急にトーンを変えるて小さな男の子に変わる。その変わり身の速さには恐れ入るわ。
「ごめんなさい。兄上。ヴィー、間違えて入ったの。兄上に会いたくてきたのに回廊にでちゃったの。姉上、なのですね。仲良くしてください」
 にこっと無邪気な笑みを見せる。って、ほんとーにおじい様なのよね? 疑いの目で見ていると小さく肯く。やっぱり。問題が山ほどやって来て頭が痛い。
「姉上?」
「ちょっと頭痛がするだけよ」
「それはいけない。脱水症状かもしれない。飲み物を手配するから自室で休んでて。あの浸透圧のはあきらめているから、だいじょーぶだよ」
「そう。じゃ、クルト、ヴィルヘルム、また後でね」
 額を抑えながら回廊を後戻りする。そして自室と言われていた部屋に入る。まるでそこだけ時代が戻ったようだった。私の過ごしていた時代の飾り物で一杯だった。花も。家具もなにもかも。こんな世界にあるとは思えなかったけれど。衣装釣りにこの部屋で過ごす服が釣ってあった。私は部屋に鍵をかけると着替える。私の時代の服とは大きく違う。あまりにも開放的で身につけるのにおどおどしてしまう。ただ、どこからか涼しい風が吹いてきていて、この部屋着は長袖でほっとした。
 ふいにノックが聞こえた。
「クルト?」
「ああ。果物と水分を持ってきた。好きなだけ摂ればいい。頭痛は環境の変化からかもしれない。少し、ここで休めばいいよ」
 扉を開けてクルトが入ってくる。
「また、夕食の時間に来るから。王族の中でも古代語を話せるのは少数なんだ。君は当分、ここと東屋と、俺の宮殿を行き来することになる。姉上のところは危なすぎて行かせられないよ。向こうから来ても入れないようにね」
「確かに、カロリーネ様は少し限度が過ぎる方みたいね」
「うまいこと言うね。俺がいては休憩にならないから、一人でゆっくりしてて」
 クルトが去ろうとすると、その手をとっさにつかんでいた。考えてもいなかったのに。
「一人が心細いなら昼寝するまでいるよ。さぁ。その椅子に腰掛けて」
 ふかふかの椅子に座って身が沈みそうになる。
「すこし前側に座るといいよ」
 座り直すとちゃんと背筋が伸びた。
「じゃ、まずはこのハーブティーからね」
 クルトがカップを渡す。心地よい暖かさだった。冷たい飲み物なんて眠る前にも数回しかなかったから暖かい飲み物の方が安心できた。
 そうして、意に沿わぬ婚礼相手と一緒にお茶を楽しんで、自分の頭を疑った、日だった。
5話
『・・・ミエ・・・エミーリエ』
 遠くでお母様が呼んでいる。そしてお父様の力強い声。
「お母様! お父様!・・・」
 私はばっと飛び起きた。呼んでいたのはクルトだった。がっかりする。
「エミーリエ。辛い現実だけど、今日の夕食も食べないと。俺の宮殿でもいいけれど、エミーリエのところで二人で食べないかい? 俺の宮殿は仕事場も兼ねているから人が多い。今は、あまり人目に付かない方が楽だろう?」
「そうね」
 さっきの生々しい両親の声が耳について離れない。
「精神的に参ってるね。一人で食べてもいいけれど、食事までは完全に復元出来ていないんだ」
「そう」
 それだけしか言葉にならない。異様にお母様とお父様に会いたい。
「ホームシックなんだね。これを。東屋でしまったように思ったけれど、ころんと落ちてた。これさえあれば、元気がでるだろう?」
 声を閉じ込める機械という燻製音声。胸元でぎゅっと抱きしめる。
「ごめん」
 不意にクルトの声が落ちた。
「なぜ、謝るの?」
「俺が君を安心させられない。いくら言っても言葉が届かない。俺は、なんて間抜けな王子なんだ、ってさっきからずっと思っている」
「そんな事無いわ!」
 とっさに言葉がでた。
「居眠りしている私の側にずっと着いていてくれていたのでしょう? 仕事もあるのに。ただ、私が適応できていないのよ。まだ、一日目だもの。覚悟してたけれど、こんなに長い間眠っているなんて思わなかった。それだけよ。夕食、一緒に食べてくれる? 一人は寂しいわ」
 ふいに、滴が落ちる。一度出た滴は次から次へとあふれて止まらなくなる。
「エミーリエ・・・」
 そっと、クルトがハンカチを差し出す。私はそれを受け取って目頭を押させる。
「今だけ泣かせて。今だけ・・・」
 宙に浮いていたクルトの手が私をそっと抱きしめる。人のぬくもりに私はわっ、と泣き出した。
 どれくらい泣いていただろうか。目も鼻も真っ赤になってるに違いない、と思っていると、クルトは回していた手をはずした。
「ごめん。軽々しく触れるつもりは無かったんだけど、あまりにも辛そうで見ていられなかった」
「いいえ。私の方こそ。人のぬくもりを感じて生きてるのね、って思った。眠り姫の時間は終わったのね、と」
 ばっとまたクルトが抱きしめる。クルトも感情的になっていた。
「君は生きている! 確実にこの時代に生まれ直したんだ。平和なこの世界に。そのために眠り姫になってこの時まで眠っていたんだ。あの手紙が君が生きてることを告げている。早く手紙を持ってきてあげればよかったね。夕食の準備が出来るまでに取ってくるよ。でも誰かいないと不安だね。少しお姉さんぐらいの世話役を着けるよ。まってて。手配するから」
 そう言って一度扉の向こうに消えたかと思うとすぐ戻ってきた。
「今から、フリーデという俺と同じくらいの年の女の子が来る。その子とたわいもない話ししていて。俺の悪口でもいいから」
「クルト!」
「大丈夫。すぐ、だから!」
 そう言ってクルトは扉の向こうに消えた。言い様のしれない不安感が私の中で大きくなっていく。いつしか両腕で体を抱きしめていた。
6話
クルトはまるでボールのように飛び出して行った。少しクルトのいた隣側が寒かった。変ね。心を譲り渡したわけでもないのに、寒いだなんて。寂しい、とさっきのわがままと一緒だわ。
 そうして、一人物思いにふけっていると、控えめなノックの音が聞こえた。クルトならもっと大きな音だし、いきなり入ってくるかもしれない。
「フリーデ?」
 扉をそっと開けて名を呼ぶ。はい、とか細い声が聞こえた。目の前には使用人の服を着た同じ頃合いの女性がいた。少女と見まごうばかりだけど、クルトは少し年齢が高いと言っていた。だから女性と言うべきだろう。
「どうぞ、入って。どこに何があるかは知らないけれど」
「それには及びません。私の家系はこの宮殿が建てられた時からお仕えしております。姫様こそ、わからぬ点があるならなんなりと思うしつけてください」
 そう言って最高級の礼をする。あわてて私も合わす。
「あ。フリーデ来てくれてたんだね。エミーリエ。これが例の手紙だよ。でも、もう時間も遅いね。先に夕食にしようか。正式な食卓はあるけれど、二人なら私的な方を使おうか。こっちだよ」
 クルトが先頭になって歩く。先ほどお茶を楽しんでいた次の間にその部屋はあった。
「ごくごく親しい人しか入れちゃだめだよ。俺は別としてね」
「クルトだけ、例外?」
「そりゃ、未来の夫だもの」
 しれっと言いのけるその神経がうらやましい。
「ああ。フリーデも入っていいよ。この日のためだけに行儀作法を学んできたんだから。一緒にエミーリエを支えていこう。フリーデの家系はね・・・」
「知ってるわ。この宮殿が出来てからここにだけ使えてきた一族、でしょう?」
 私が言うと、少し、真剣な表情でクルトは言う。
「じゃぁ、フリーデの家の長女はこの宮殿と結婚して誰とも結婚できなかったのは知ってる?」
 だれ・・・とも?
 私の目が驚きで見開いていく。フリーデの肩をつかんで揺さぶる。
「あなた。この先、誰とも結婚できなくていいの? 今ならこの役を解いてもらえるわ。私がお願いすれば!」
「エミーリエ。強く揺すりすぎだよ。言ったのは俺だけど」
「でも!」
 好きな人がいてもその人は別の人と結婚する。それを甘んじて見ないといけない役割って・・・!
「エミーリエ様。心配して頂いてありがたいのですが、私の心はこの宮殿とともにあります。そして、始めて宮の主人となるエミーリエ様にお仕えできる。一族にとってこれほど嬉し事はありませんわ」
「じゃぁ、どうしてその顔は曇っているの?」
「くも・・・てる?」
「そうよ。無表情だわ。まるでお面をかぶったかのように何もみえないわ。そんな心で人に仕えられるかしら?」
「あ・・・」
 フリーデが動きを止める。自分の頬に触れる。
「私はどんな感情も見せてはいけないと育ってきました。だから、嬉しくても嬉しい表情が出来ないのです」
「いいえ。あなたに好きな人が出来て、その人から愛を告白されれば自然と笑みがこぼれるはずよ。私と違ってね」
「エミーリエ」
 たしなめるようにクルトが言う。
「私の問題はいいのよ。ここに住むか野垂れ死ぬかのどちらかなんだから。現状は。フリーデに自由を与えたいわ。そして友達になって。主従の関係なんて今更な、話よ。私は家来なんていらないわ」
 その言葉にフリーデの目が潤んだ。私は抱きしめる。
「この世にたった一人なの。私。使用人じゃなくて、お姉さんになって」
 わっとフリーデは私の腕の中で泣き始めたのだった。新しい生活に彩る人が一人増えたのだった。
7話
「フリーデ。好きな人がいるの?」
 泣きじゃくるフリーデに私は聞く。小さく肯く。
「じゃ、その人のために笑えるようにならないとね。一緒に食事して楽しみましょう。はい。ハンカチ。私のものかどうかは解らないけれど」
「ありがとうございます」
「鼻水も拭いて大丈夫よ。クルトに洗濯押しつけるから」
「エミーリエ様、冗談事ではありません」
「いいの。いいの。未来の夫と豪語するんだから、なんでもさせるわ」
 そこへカロリーネお姉様が飛び込んできた。
「クルト、独り占めはだめよ!」
「兄上!」
 今度はヴィルヘルムが飛び込んでくる。
「メンバーが揃ったようね。食事にしましょう」
 私が音頭をとる。この宮殿の主人なんだからそれぐらいしてもバチは当たらないわ。
「姉上やヴィーは余計だろう?」
 不満げにクルトは言う。
「結婚すれば姉上もヴィーも家族になるのよ。今から練習よ。フリーデも・・・。フリーデ?」
 あれだけ落ち着いた雰囲気のフリーデが顔を真っ赤にさせている。
「フリーデ。まさか・・・」
 カロリーネお姉様を見ると流石に顔を真っ青にする。で、ヴィルヘルムを見ると落ち着きをなくす。
「フリーデ。全力で応援するわ!」
 フリーデは十歳ほど違うヴィルヘルムに恋していた。叶う見込みは少ない。王族の上に年下。ヴィルヘルムにして見ればおばさんぐらいにみえるだろう。不利と言えば不利だろう。でもこの可愛い女性を姉とするのは理想的だ。それほど、私はフリーデに親愛の情を抱いていた。この感情がどこから来たかわからなかったけれど。まさか、私の一族の誰かの生まれ変わりじゃないでしょーね。不思議な顔をしているとクルトが手を引く。
「君の生きていた時代の食事を模倣している。違和感があれば言ってくれ」
 いつの間に用意されたのか食卓にはとてつもない量の料理が並んでいた。
「こんなにたくさん食べなかったわ」
 父は騎士として新たな領主に仕えていた。家はあったけれど、それもこんな宮殿と比べれば雲泥の差。食事も質素だった。豆のスープが私のお気に入りだった。
「はい。君の椅子だよ」
 クルトが椅子を引く。しかたなく腰を落とすとすっと前に着けられる。そこにはあの幻のお母様の、一族の定番中の定番、豆のスープが置いてあった。
「これは、手紙にレシピが載っていたんだよ。これを伝えていって欲しいと。代々の料理長はこの料理を復元してから認められていた。君の覚えている味と一緒かはわからないけれど」
「食べていいの?」
 怖々聞く。
「うん。君が食べないと俺たちも手が着けられないから」
 疑問符が飛び交う。
「この宮殿の主人は君だからね」
「そう。じゃ、いただきます」
 そろりとスプーンを持って豆のスープを飲む。お母様の味だった。スープに涙がポタポタ落ちる。
「そんなに泣いたら、スープが塩辛くなるよ」
 クルトが器を持って私にスプーンで運ぶ。私はぼろぼろ泣きながらスープを完食したのだった。
8話
 夕食は豪華だった。眠る前でもこんなに大量の食事は無かった。それをカロリーネお姉様が次々と平らげていく。
「お姉様、お腹壊しますよ?」
 心配して言うといや~ん、と返事が返ってきた。
「もう。エミーリエったら姉の心配もしてくれるのね」
 抱きつきそうな勢いをクルトが止める。ヴィルヘルムはフリーデと仲睦まじく食べている。お姉さんと弟という所かしら。でも時々、とてもいい雰囲気になるのを見てまさか、と思う。やはりおじい様とおばあ様じゃないかと。じっと見ているとヴィルヘルムが微笑んで小さく肯く。
 やっぱり! この恋は実るわ。嬉しくてにこにこする。そんな私をクルトが不思議そうに見る。
「フリーデ達がどうかしたのかい?」
「いいえ」
 即、否定する。ここで芽を摘むわけにはいかない。知らない振りをしないと。
「姉と弟って感じで微笑ましく思ったのよ」
「それはそうだな。フリーデはヴィルヘルムと仲がいいから」
「そう。そのカモの香草焼き取ってくれる?」
「いいよ」
 クルトはなんなく取り分けると皿を目の前に持ってくる。
「豆のスープの次に目がないのよ」
「かといって今度も泣かないで」
「わかってるわ。豆のスープは母の味なのよ。母はおばあさまの味だったと言っていたけれど。おばあさまにもおじい様にも会えないまま西に来たらしいから、私は会ったことがないけれど」
「一度も?」
「ええ。その時は母のお腹の中だったの。だから、見も知らぬ孫の眠りから覚める時を予知するだなんておじい様はよほど先が見えていたのね。それは大変な事だったと思うわ。知り合いだって裏切るし、人も殺さなくてはならなかった。祖父はともて孤独な人だったのよ。それを叔母達やその孫が癒やしていた、と母は話していた。私も会いたかったわ。おじい様とおばあ様に」
 少し目が潤んだその私の手に小さな手が重なった。
「ヴィーがいるから」
 幼い義理の弟の中に祖父の面影がみえる。会ったこともないのに祖父だと打ち明けられているから見えるのかもしれない。だけど、その幼い表情の奥に苦しみを見た。
「お・・・ヴィー」
 ヴィルヘルムは口元に指をそっと立てる。私は軽く肯いた。
「ちょっと。夫は俺なんだけど」
「そうね。この国の王子で適齢期なのはあなただけなの?」
「ヴィルヘルムと、カロリーネ姉上は正妃の子だけど他に側室の王子はいるよ。でもまだ、適齢期じゃない。一番、年齢が近いのは俺だけ。カロリーネ姉上が強奪しそうだけど」
「ちょっと。私にその気はないわ。可愛い妹が欲しかっただけよ。エミーリエ、またドレスの試着に手伝ってね」
「は・・・はい」
 この王室の地獄はエンドレスだわ。思わず、壁画の描かれた天井を見上げていた。
9話
「なんて長い一日だったのかしら・・・」
 手の中にある手紙を見ながら思う。豪華な夕食後、クルトはそれを渡して、一人で読むなら読んでいい、と渡して隣の宮殿に帰っていった。
 読みたいような読みたくないような・・・。夜の帳の降りた宮殿はまだ、明々と電気というものがついていたけれど、まだ目が慣れない。私の眠る前は夜は蝋燭の明かりが何時もの明かりだった。
「これ、どうやって消すの?」
 いつもお母様が消しに来ていた。
「その壁のスイッチを押すと消えるんだよ」
 不意に聞こえた声にびっくりする。
「クルト!」
「フリーデから聞いたよ。電気にびっくりしているけれど、どう説明すればいいかわからない、と」
「そう。そうね。びっくりしたわ。こんなに部屋が明るいんですもの」
 自分に言い聞かせるように言う。
「手紙、読む?」
 クルトが言う。見るととても優しい微笑みを浮かべていた。
「一緒に見てくれる?」
「いいとも。ただ、ここはエミーリエの自室だからね。紳士としてはさっきの居間にしよう」
 クルトが手を取ってまた向こうの部屋へ連れて行く。私はふわふわと雲の上を歩いているような気分だった。
「さぁ。その封を解いて」
 手紙を開けるとおじい様と思われる男性の字があった。
「この文書を読むものへ、っておじい様固いわね」
 ふっと笑みがこぼれる。私の名前と目覚める日時。細かい事が書いてあった。そしてその下には見覚えのある字。お母様の字だった。事細かに私の事を書いてある。私は恥ずかしさで真っ赤。
「お母様、どこまで娘の事を書くの」
「それだけ愛している、って事だよ」
 いる、とクルトは現在の言葉で言った。もう過去なのに。お母様は生きていないのに。ぽとり、と滴が手紙に落ちる。あわててテーブルに置く。貴重な手紙を涙で崩すわけにはいかない。ただ、今もお母様達がどこかで生きているような気がして切なかった。涙がぽろぽろこぼれる。
「お母様、会いたい」
「俺の母も君のお母様だよ。君のお母様のようにしたってあげて。きっと君がお母様と呼べば大喜びするよ」
「クルト・・・」
 見上げたクルトの微笑みはどこまでも優しかった。まるで優しく照らす月のよう。そう。今夜のような満月でなく少し欠けた十六夜の月のように。顔が近づいてくる。だけど。次の瞬間吹き出した。だって。「ちゅー」なんて言って顎を持ち上げたんだもの。あまりの事に私はクルトを避けていた。
「なんだ。ちゅーはダメなのか」
「ちゅーがダメなのでなくてその『ちゅー』って言葉が笑わせるのよ。そんな面白い事言ってキスしようとする人初めて見たわ」
 私はケラケラ笑う。その笑い声をまた優しい表情でクルトは見ていた。
 この人はとても温かい人なのかもしれない。どこのだれだかわからない人に嫁がされるのではと思っていたけれど、これはこれでいいものかもしれない、と思い始めていた。
10話
私は、ふっと目が覚めた。見慣れぬ天蓋に、ああ、目覚めたのか、と思う。ここは未来の世界。私の知っているものがほとんどない世界。だけど、おじい様の生まれ変わりがいたり、恥ずかしがりやのフリーデがいる。お姉さんになってと始めて人に甘えた。クルトは論外。どうせ、旦那になるんだもの。甘えたってバチは当たらないわ。それにクルトは私が何しても怒らない。どこまで心が寛容なのかわからない。だけど、その心の奥に何かあるような気がしていた。もうクルトと結婚するつもりの自分にも驚く。逃げ出して一人で生きていこうと思っていたのに。だけど、言葉も違う。ここにいるしかなかった。
 控えめなノックの音が聞こえた。
 フリーデだわ。
「起きてるわ」
 そう言って扉を開けに行く。
「お召し替えのものをご用意しました。こちらにお着替えください」
 また、袖の短いものと丈の短いスカートというものだった。ドレスはそれなりにあって裾が長いらしい。最近の王室では始終ドレス姿でなくていいという。珍しいわね、となんとなく自分の生きていた時代と比較する。比較しようもないんだけど。
「それでは食卓の間にクルト様がお待ちです。朝食を一緒にとのことです」
「クルトが?」
 はい、とにこやかにフリーデは答える。その仰々しい態度が嫌でフリーデに文句を言う。
「お姉さんになって、って言ったはずよ。もう少し親しくして」
「と、言われましても・・・」
「と、言っても、よ。はい」
「・・・と、言っても、ですか?」
「ですか、いらないの」
「エミーリエ! フリーデ困らせるんじゃないよ」
 フリーデの少し向こう側からクルトの声が飛んでくる。
「はいはい。さっさと着替えるわよ。私は騎士の娘なんだから、大仰なことはなし! いいわね!」
「は、はい」
 強気に出るとフリーデも諦めたようだ。なんとかここの友達作りをと必死になっていた。一人は寂しい。昨日、眠りに落ちていく時にふいに思っていた。この世でたった一人。未来へ来た人間。ヴィルヘルムもおじい様だけど、やっぱり違うわ。一人きり感が強まっていた。
「あ。いけない。考え事に時間を取られたわ」
 頭の中から不安を追い出すように振って着替える。そういえば、部屋を涼しくする機械もあるわね。電源、と言ったかしら。それを切るには・・・。
「えーっと」
「こうするんだよ」
「クルト!」
 クルトが長方形の物を持って何かを押す。ぴ、っと言って機械の冷たい風は止まった。
「エアコンとも言うけれど、空調とも言うんだ。夏と冬に大活躍するから使い方は覚えた方がいいね。さぁ朝食だ」
「って。あなた、女の子の寝室に来るなんてなんてデリカシーないのよ!」
 思わず手が出そうになって慌てて止める。姫君はそう暴力的にはならないものよ。お母様の声が聞こえてきたようだった。涙がでそうになる。
「ク・・・ルト?」
 いつしか私はクルトに抱きしめられていた。
「ごめん。俺の行動で誰かを思い出したんだね。つらいね。一人は」
 わかっていてくれた。クルトは。誰も解らないと思っていたこの気持ちを考えていてくれた。それだけで私は嬉しかった。涙がぽろぽろこぼれる。
「エミーリエ?」
「ありがとう。気持ちを解ってくれて。お母様を思い出したの」
 ぐすぐす言いながら言う。クルトは回したその手にぎゅっと力を込めて抱きしめてくれた。人のぬくもりが改めて大切に感じた時間だった。
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